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鹿児島地方裁判所 平成7年(わ)321号 判決 1997年1月10日

主文

被告人を禁錮二年六月に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、中学校を卒業後、小型漁船、マグロ漁船、貨物船等の乗組員として稼働し、その間に二級小型船舶操縦士の免許を取得し、平成四年ころ鹿児島県串木野市所在の島平漁業協同組合の正組合員となり、漁業に従事するかたわら遊漁船業を営み、汽船かなめ丸(総トン数約2.1トン)の船長として、同船の操船業務に従事していた者であるが、平成七年六月一八日午後一時二五分ころ、釣り客四名をのせた同船を操船して鹿児島県串木野市小瀬町所在の串木野港灯台から真方位約二四二度西南西約五八〇メートル付近海上を同市長崎町所在の島平漁港に向け速力約八ノットで航行中、島平漁港の南西約一〇〇〇メートル付近には、「三ツ瀬」や「ジンゾゼ」と称される岩礁が散在して浅瀬となり、可航幅も約二〇〇メートルと狭隘であるうえ、当時、低気圧等の影響により三ツ瀬立標付近に南西から波高約三、四メートルの波が打ち寄せており、ジンゾゼ付近ではさらに波高が高くなっていたため、船首をほぼ北東方向の島平漁港に向けて三ツ瀬及びジンゾゼ付近を航行すると、船尾から高波を受けて同船が転覆するおそれがあったから、三ツ瀬及びジンゾゼ付近の航行を厳に避け、高波の影響を受けにくい三ツ瀬南側を迂回して島平漁港に入港するか、あるいは転針して手前の串木野港内小瀬漁港に入港するなどして、転覆事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があったのにこれを怠り、機関及び舵の操作により高波を回避できるものと軽信し、漫然速力三、四ノットで三ツ瀬及びジンゾゼ付近海域を航行した業務上の過失により、同日午後一時三〇分ころ、前記串木野港灯台から真方位約一九三度南南西約四三〇メートル付近海上において、同船の右後方から約五メートルの高波を受け、同船を右舷側に傾かせ、さらに続けて同船の右後方から約五メートルの高波の直撃を受けたため、同船を右舷側に傾かせたまま転覆させ、もって艦船を転覆させるとともに、これにより同船に乗船していた右四名の釣り客全員を海中に転落せしめ、よって、そのころ同所付近海中において、右四名のうち上村義尚(当時五五歳)、内村比〓美(当時六七歳)及び三角義人(当時五〇歳)を溺死するに至らせた。

(証拠)〈省略〉

(事実認定の補足説明)

一  弁護人は、本件事故当時の天候は比較的穏やかで風はさほどなく、沖合の南西方向からのうねりも波高はさほどでなかったうえ、本件事故は漁民の間で一発波と呼ばれている予見できない突然の高波によって発生したものであるから、結果の予見可能性及び回避可能性がなく、被告人がとった針路(いわゆるヤマアテコース)は、地元漁民の間では、島平漁港に帰港するに際しての最適航路と認識されており、転覆事故の発生する危険性は全く認識されておらず、被告人に三ツ瀬の南側を迂回したり、串木野港内小瀬漁港に入港するなどして事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はなかったから無罪であると主張し、被告人も公判廷においてこれに沿う供述をしているので、以下検討する。

二  関係証拠を総合すると、本件事故前後の気象状況、本件事故現場の状況等について、以下の事実が認められる。

1  鹿児島地方気象台は、平成七年六月一七日午後五時には、鹿児島地方に大雨、雷、強風、波浪、洪水注意報を発令し、翌一八日午前五時三五分には、九州南方海上及び日向灘に海上風警報を、午前六時四〇分には、鹿児島地方に大雨、洪水警報、雷、強風、波浪注意報を発令し、九州の西海上には発達中の低気圧があって東北東へ進んでおり南西の風が強く、最大風速は陸上で一〇ないし一三メートル、海上で一三ないし一七メートルに達して突風を伴い、沿岸の海域では引き続き波が高く、波の高さは2.5メートルに達する見込みであると予報していた。

2  本件事故現場から北西約三〇〇〇メートル付近海上(水深約二〇メートルの海域)に設置された日本地下石油備蓄株式会社串木野事業所串木野基地の波浪計により、平成七年六月一八日、観測された風向及び風速は、それぞれ次のとおりである。

(単位・毎秒メートル)

時刻   風向   風速

午前六時 北東   2.9

七時 東北東  2.8

八時 測定なし 0.8

九時 測定なし 1.5

一〇時 南南東  2.2

一一時 南西   3.8

午後零時 測定なし 0.6

一時 南南西  3.7

一時一〇分 南西   5.2

一時二〇分 南西   4.5

一時三〇分 南西   3.9

一時四〇分 南南西  4.0

一時五〇分 南西   4.0

二時 西南西  6.2

三時 西南西  7.7

四時 西南西  6.3

また、同日、右串木野基地で観測された有義波及び最高波(いずれも波向は南西方向)は、次のとおりである(なお、有義波とは、連続した波の峰一〇〇個のうち高い方から選んだ三三波の平均であり、ほぼ目視でとらえた波高に近いものである)。

(単位・メートル)

時刻   有義波 最高波

午前六時 1.1 2.1

八時 1.5 2.4

一〇時 1.6 2.5

午後零時 1.5 2.2

二時 1.4 2.6

四時 1.3 2.1

3  本件事故現場周辺の状況は別紙図面(甲二〇号証添付の見取図Ⅲ)のとおりであるが、串木野港灯台から西南西約三四〇メートルの位置に長埼立標があり、長埼立標から南南東約七〇〇メートルの位置に三ツ瀬立標がある。その三ツ瀬立標から北東約一〇〇〇メートルの位置に島平漁港入口があるところ、長埼立標東側には岩場(長埼の岩場)が、三ツ瀬立標周辺には水深約3.6メートルの洗岩(三ツ瀬、通称「シオカラゼ」)がそれぞれひろがっており、長埼の岩場と三ツ瀬との間に水深約2.7メートルの浅瀬(通称「ジンゾゼ」)が存在し、可航幅は約二〇〇メートルと狭くなっている。

4 地元漁民の間では、以前から島平漁港の北西方面の漁場から島平漁港に向けて帰港する際に、岩場や暗礁があって危険な三ツ瀬及びジンゾゼにはさまれた海域を安全に航行する方法として、「ヤマアテ」という手法が伝承されている。

5 ところで、波高について、確率論からは、一〇〇波に一〇波は有義波の1.3倍、一〇〇波に一波は有義波の1.5倍、一〇〇〇波に一波は二倍近い波が押し寄せることがあり、また、沖波(外洋の波)は、陸岸に近づきその波長の二分の一の水深の所に達すると変質し始め、波長の二〇分の一の水深の所にくると一層大きく変質し砕波となる性質があるが、岩場は一般に陸岸から海中に向かって突出しており、このような所では波の立ち上がりが大きくなるところ、巡視船きりしまが本件事故現場に急行して救助活動にあたった平成七年六月一八日午後一時五〇分ころの現場の状況は、南西から毎秒約三、四メートルの風が吹き、沖合は長い周期のうねりが発生している状況でしけてはいなかったが、南西方向から常時二メートル前後のうねりがあり、三ツ瀬の手前で波高が高くなり、何回かに一回の割合で波高四ないし五メートルの磯波が三ツ瀬付近に周期的に打ち寄せていた。

そして、本件事故が発生したのは、右きりしまが事故現場に急行した時より約二〇分前の同日午後一時三〇分ころであるから、そのころの状況も右とほぼ同様であったと推認される。

三1 そこで、以上の事実に基づいて被告人の過失の有無について検討するに、被告人は、捜査段階においておおむね公訴事実に沿った趣旨の供述をしている。すなわち、「私は、平成七年六月一八日午前四時三〇分ころ、沖の様子を見るため島平漁港へ行った。波やうねりはほとんどないようで、雨が降ったりやんだりしており、風は北東方向から吹いているようだった。」「天気予報によると天気は下り坂であり、海が次第にしけてくることも予想されたが、釣りのポイントが港の近くであったので天気が悪くなれば引き返せばよいと思って午前六時ころ出港した。午前七時一〇分ころ、沖ノ島近くのハシマソネと呼んでいるポイントに到着して釣り客には二時間位アジを釣ってもらった。最初はうねりがあったが、次第におさまり凪の状態になった。午前九時一〇分ころ友人の小屋さんが釣りをしているポイントへ移り、二時間位チコダイを釣ってもらった。午前一一時半ころ釣り客の誰かがもう少しアジが欲しいと言ったので、再びハシマソネへ移動して一時間位アジを釣ってもらった。午後零時半ころ、風はなかったが波がうねりの状態になったので帰ることに決め、その支度をしていたところ、午後一時ころ小屋さんも近くに来て帰ろうと声をかけられたので、小屋さんの船の後ろについて島平漁港に向けて一〇ノット位で航行した。小屋さんの船はどんどん先に進んで行ってしまった。午後一時二〇分ころ、長埼鼻の防波堤を左舷真横に見たときシオカラゼと呼んでいる三ツ瀬立標に針路をとった。その時、三ツ瀬付近には磯波(白波)が立ち上がっており、すぐ北側の防波堤付近にも同じような磯波の返し波が見え、大分しけていると感じたことから八ノット位に減速した。串木野港灯台の西側の立標(長埼立標)を左舷真横付近に見たとき南西の風が吹いており、南西方向からのうねりを受けて船が左右に揺れ始めた。三ツ瀬付近には三、四メートル位の高さの磯波が上がっており、ジンゾゼと呼んでいる浅瀬の付近にはそれより高い磯波が立っているのが見えた。このような状況を見て、これは危ないと感じて、三、四ノットに減速した。このまま三ツ瀬とジンゾゼの間を通るヤマアテコースで進むと右舷から受けていたうねりを右舷後方から受けることとなり、船にとっては一番悪い方向からうねりを受けることになると思った。したがって、この時点で、ヤマアテコースはやめてその手前の小瀬漁港に入港するか、三ツ瀬の南側を迂回して島平漁港に入港するべきだった。しかし、それまで風や波も無かったことから、それほど悪い状態であるということを認識していなかったので、速度を落として波をかわして行けば何とかなるだろうと考えて、そのまま三ツ瀬とジンゾゼの間を通って進んだ。ジンゾゼ付近に達したとき、船尾からかなり大きな高さ五メートル位はある波を受けて右舷に傾き、最微速まで落として面舵にしたが船は傾いたままで、さらに高さ五メートル位の大波を受けてそのまま右舷に傾き、船首部を海中に突っ込むようにして転覆した。」旨の供述をしている。

2 右の供述は、細部において若干の変遷があるものの本件事故の数日後の取調べから捜査段階においてはおおむね一貫していること、出港前や沖合に出た際、さらに事故直前の気象状況などについて前記認定にかかる客観的事実とよく符合していること、また操船状況について、平成七年六月二七日に被告人立会いのもとで行われた実況見分(甲二〇)の際の指示説明とも合致していること、そして供述内容自体は詳細かつ具体的で、不自然あるいは不合理な点はなく、特に、三ツ瀬やジンゾゼ付近の高波を見て危険を感じて三、四ノットまで減速した旨の供述は公判廷においても維持されていることなどに照らして、十分信用することができる。

弁護人は、被告人の捜査段階の供述は、被告人が本件事故による精神的ショックを受けていた状況下でなされたものであり、捜査官の誘導に基づく部分が多く信用性に欠けると主張する。しかしながら、被告人自身、本件事故により負傷して入院していたとはいえ、海上保安官による事情聴取は身柄不拘束の状態で、しかも比較的短時間のものであったこと、被告人は、本件事故の回避措置について海上保安官との間で若干のやり取りがあった旨弁解するものの、結局はありのままに供述したというのであり、また供述調書の内容は、例えば、船の減速状況など実際に操船した被告人でなければ供述できない事項や、出港時の天候状況など被告人に有利な事項も多々含まれており、海上保安官から、殊更、強い誘導を受けたような状況は窺われないこと、そして、約二か月後に作成された検察官調書においても被告人は、海上保安官調書の供述とおおむね一貫した供述をしていることなどを併せ考えれば、被告人の捜査段階の供述調書の信用性に疑いをはさむような事情はないというべきである。したがって、弁護人の右主張は採用できない。

3 そうすると、被告人は、三ツ瀬及びジンゾゼ海域に入る手前の長埼立標を左舷真横に見た位置において、南西からのうねりがあり、三ツ瀬付近で波高約三ないし四メートルの、ジンゾゼ付近にはそれ以上の高波が打ち寄せているのを認めたのであるから、島平漁港に向けて三ツ瀬及びジンゾゼ付近を航行した場合、波高五メートル程度の波を船尾方向から受けて転覆する危険性のあることを予見することは十分可能であったというべきである。

そして、その時点で三ツ瀬及びジンゾゼにはさまれた海域の航行を避け、三ツ瀬の南側を迂回して浅瀬や暗礁がなく高波の発生していない海域を航行して島平漁港へ入港することも、あるいは、島平漁港への入港を避けて手前の串木野港内の小瀬漁港に入港することも可能であったのであるから、被告人にとって、本件事故を回避するための措置をとることは十分可能であったというべきである。

この点、弁護人は、被告人が航行したヤマアテコースは、地元漁民に伝承されている島平漁港に入港する際の最適航路であり、被告人が他へ迂回すべき注意義務はなかったと主張するが、これが地元漁民の間で、最短の航路として広く用いられていたことは認められるとしても、三ツ瀬及びジンゾゼ付近は浅瀬や暗礁が存在し可航幅が約二〇〇メートルしかないもともと危険な航路であるうえ、台風や低気圧などの影響で海上が荒れているときには、同所付近の航行は避けられていたところ、本件事故当時の現場の状況は前記認定のとおりであり、ヤマアテコースをとると船尾方向からの危険な高波を受けることになることは被告人自身十分承知していたのであるから、被告人には、三ツ瀬の南側を迂回するなどして結果回避の措置をとるべき業務上の注意義務があったことは明らかである。

しかるに被告人は、機関及び舵の操作によって高波を回避できるものと軽信し、三ツ瀬及びジンゾゼにはさまれた海域の航行を避けることなく進行して転覆したのであるから、被告人に右の注意義務を怠った過失があったというべきである(なお、被告人が航行する一〇分ほど前に、小屋勲が操船する魚秀丸が同所付近を通過しているが、これは、たまたま高波の影響を受けずに航行できたに過ぎず、被告人の過失の存在に消長を来たすものではない。)。

四 これに対し、被告人は、公判廷において、捜査段階での供述を翻し、「本件事故現場に来たとき二メートル位のうねりであった。右舷後方から狙われたみたいに四、五メートルの高波を突然かぶって転覆した。」旨前記主張に沿う趣旨の供述をしているが、右供述は、信用性の高い捜査段階の供述やその他前記二で認定した事実と対比すると、余りに不自然であり、到底信用できない。

五 以上のとおり、被告人の捜査段階の供述は他の関係証拠と良く符合し、十分信用できるものであり、これに反する公判供述は信用できず、右捜査段階の供述と他の証拠を総合すれば、前記犯罪事実は優に認定することができる。

したがって、弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

罰条 業務上過失往来危険の行為につき刑法一二九条二項、一項

溺死した三名に対する各業務上過失致死の行為につきそれぞれ刑法二一一条前段

科刑上一罪の処理 刑法五四条一項前段、一〇条(一罪として刑及び犯情の最も重い三角義人に対する業務上過失致死罪の刑で処断)

刑種の選択 禁錮刑を選択

刑の執行猶予 刑法二五条一項

訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑事情)

本件は、漁業のかたわら遊漁船業を営む被告人が、釣り客四名を乗船させて釣りをさせた後帰港するに際して、業務上の過失により船を転覆させてそのうち三名を溺死させたという結果の重大な事案である。被告人は、乗客の命を預かる遊漁船の船長をしていたのであるから、航行の安全には十分注意すべきであったにもかかわらず、ジンゾゼ付近の高波や陸岸に押し寄せる磯波を目撃して転覆の危険を感じながら、速度を落として機関と舵の操作により波をかわして行けばなんとかなるだろうと安易に考えて航行したものであって、その無謀な運航態度は厳しく非難されるべきである。また、発生した結果は三名の死者を出すなど痛ましい限りであり、突然尊い生命を奪われた三名の無念さやその遺族の悲痛は察するに余りあるうえ、被害者らはいずれも夫や父親として一家の中心であったのであり、遺族に与えた経済的な影響も大きいものがあるところ、被告人は、遺族に対して香典をそれぞれ一〇万円支払った程度で十分な慰謝の措置を講じておらず、保険金以上の賠償はできないとする被告人の態度を不誠実であると受けとめた遺族が厳罰を望むのももっともなことであり、被告人の刑事責任は重いというべきである。

しかしながら、被告人に過失があることは明らかであるにしても、先行する船は無事に帰港していることからすると、被告人にとっても不運な事故であったという面もないわけではないこと、海のレジャーは陸上とは異なる危険性を常にはらんでいるものであるが、被害者らが救命胴着を着用していなかったことも重大な結果の一因になっていると思われるところ、この点について、船長である被告人の責任が大きいことはいうまでもないが、被害者の乗客にも一半の責任はあること、将来的には、被害者の遺族に対して被告人が加入していた船主責任保険から被害者一人あたり三〇〇〇万円程度の保険金が支払われる見込みであること、被告人には、古い罰金前科以外に前科はないことなど被告人のために酌むべき事情も認められるので、これらの情状を総合考慮して、被告人には主文の刑を科し、今回に限りその刑の執行を猶予するのが相当と判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山嵜和信 裁判官島田一 裁判官田村政巳)

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